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文楽公演

文楽公演「曾根崎心中」天神森の段

 文楽公演「曾根崎心中」天神森の段 ~ちょっと、文楽よもやま話~ ~「人形と浄瑠璃」体感ワークショップ~ を開催いたしました。


 と き:平成27年6月23日(火)13:30~15:00(13:00~開場)

ところ:中央区民センターホール(大阪市中央区久太郎町1-2-27)

内 容: ①ちょっと、文楽よもやま話
講師:後藤静夫さん(元国立文楽劇場制作担当・京都市立芸術大学名誉教授)

②「人形と浄瑠璃」体感ワークショップ

③「曾根崎心中」天神森の段
出演:豊竹英大夫、鶴澤清介、吉田和生、二代目吉田玉男 ほか
  後藤静夫さん 英大夫 清介 吉田玉男 吉田和生  
  講師:後藤静夫 豊竹英大夫 鶴澤清介 吉田和生 二代目 吉田玉男  
当日の様子
 当日はたくさんのお客様にお越し頂き、客席はほぼ満席となりました。三業(大夫・三味線・人形)の解説ではそれぞれの技芸員さんがユーモアを交えて楽しくお話してくださいました。
 人形の解説ではご来場いただいたお客様の中から希望者の方に舞台に上がっていただき、実際に人形遣いの体験をしていただきました。

 そしていよいよ曾根崎心中の上演が始まりました。大夫・三味線・人形が一体となった舞台に皆さん魅入られているようでした。
この公演をきっかけに文楽をはじめ古典芸能に興味を持っていただければ幸いです。


曾根崎心中
撮影:三宅晟介

曾根崎心中あらすじ

 「曾根崎心中」は元禄16年(1703年)4月、大阪で実際に起こった心中事件を近松門左衛門が劇化し、翌5月に上演された演目です。
今回上演される「天神森の段」の前に「生玉社前の段」、「天満屋の段」があります。事前にあらすじを読んでいただくと公演をよりいっそうお楽しみいただけると思います!

【生玉社前の段】
醤油屋の手代・徳兵衛は、新地天満屋の遊女お初の馴染客で、相思相愛の仲でした。生玉神社で二人は偶然再会します。徳兵衛は、お初と会えない間に大変な目に遭ったのだと語ります。徳兵衛の実の叔父でもある主人に親類との縁談を勝手に進められ、徳兵衛の継母に結納金まで渡されてしまいます。結婚を断った徳兵衛に叔父は怒りだし、勘当を言い渡されました。徳兵衛は継母が勝手に受け取っていた結納金をようやく取り返しましたが、叔父に返済する前に友人の九平次に頼まれてその金を貸したところ返ってこないというのです。そこに通りかかった九平次の口ぶりから騙し取られたことを悟った徳兵衛は、喧嘩を挑んだものの逆に公衆の面前で詐欺師呼ばわりされたうえに散々な目に遭わされてしまいました。

【天満屋の段】
その夜、曾根崎新地・天満屋にやって来た徳兵衛を、お初は自分の着物の裾に隠して縁の下に忍び込ませました。そこへ九平次が現れ、徳兵衛の悪口を言いふらします。怒りに震える徳兵衛を制したお初は、独り言のように心中をほのめかし、徳兵衛はお初の足を自分の喉にあてて承知の意志を伝えます。皆が寝静まった深夜、死装束に着替えたお初は店を抜け出し、徳兵衛と二人天神森へと急ぐのでした。


ゆかりの地巡り
 国立文楽劇場からほど近い大阪市中央区中寺2丁目にある久成寺。
こちらには曾根崎心中の主人公、お初の墓があります。お初が奉公していた天満屋が久成寺の檀家であった縁から、天満屋の主人がお初の墓を建てて供養したと言い伝えられています。
しかしながら300年近い歳月で墓石は行方不明になってしまいました。既に大正時代には行方不明になっていたと文献にも記されています。

現在久成寺にあるお初の墓は、2002年(平成14年)お初の300回忌に当たることから、久成寺檀信徒有志が供養のために再建したものです。
久城寺門前
門の傍には「お初墓所」の石碑が建てられています→
お初の墓石

←お初の墓石。高さは80㎝ほどでこじんまりしています。
江戸時代の大坂の風物を記した「摂陽奇観」という文献からお初の戒名が「妙力信女」ということが分かり、墓石にはその文字が刻まれています。側面には「曽根崎心中お初之墓」の文字があります。



【久成寺へのアクセス】
最寄駅:地下鉄谷町線「谷町9丁目」下車
2番出口を出て千日前通りを西へ、最初の辻を北に曲がる。
信号を渡りすぐ、右側。

この事業はサテライト大阪環境整備協力費で実施しています

新作狂言おさか

新作狂言「おさか」

 能・狂言は、豊臣秀吉が愛好した芸能。
秀吉が築いた大坂城は上町台地の北部に位置しました。その上町台地には豊かな歴史遺産や古典文化が存在しています。
15世紀、蓮如上人が、のちに大坂本願寺となる石山御坊を築きました。それをもとにして新作された狂言「おさか」を上演
いたしました。


 と き:平成27年8月26日(水) 開演15:30~16:40

 ところ:NHK大阪放送会館アトリウム(大阪市中央区大手前4-1-20)

 内 容: ① 狂言「笑いと所作」体感ワークショップ 

      ②「おおさか」は、いつ生まれたのか?
          講師:河内厚郎(演劇評論家・文化プロデューサー)

      ③ 新作狂言「おさか」
         〈原 案〉    河内厚郎 
         〈狂言脚本・演出〉善竹隆司
         〈キャスト〉   (生國魂之神主)善竹 隆司
                  (旅の者)   善竹富太郎 
                  (大坂人)   善竹 隆平
                  後見 上西良介・上吉川徹 

  河内厚郎 善竹隆司 善竹隆平 善竹富太郎  
  講師:河内厚郎 善竹隆司 善竹隆平 善竹富太郎
当日の様子
 体感ワークショップでは善竹隆平さんより、狂言の所作や声の出し方を指導していただきました。笑ったり、泣いたり、狂言独特の表現を参加者の皆さんも一緒に声を出して体験していただきました。
 続いて講師の河内厚郎先生より、新作狂言「おさか」を創作するに至ったきっかけや、上町台地の成り立ち、大阪の地名の謂れをお話していただきました。馴染のある地名がたくさん出てきて、非常に興味深い講演でした。
 そして、新作狂言「おさか」の上演が始まりました。身近な題材だったこともあり、参加者の皆さんはすぐにストーリーに入り込めた様子でした。狂言独特の滑稽なせりふ回しやストーリーの展開に会場からは時折笑い声が起こりました。
 前回公演に引き続き、今回もたくさんの方にお越しいただきました。たまたま通りかかった方や外国から観光で来られた方など多くの方が足を止めて見てくださり、普段狂言を見る機会の少ない方にも興味を持っていただけたのではないかと思います。



《新作狂言「おさか」について》
大阪の地名は、明治維新までは大坂と表記されていました。
それを遡ると、室町時代後期には大阪城のあたり、上町台地周辺は「おさか」と呼ばれていたようです。この「おさか」が転じて「おおさか」となった由来を、神代までさかのぼって説き明かします。今ではお馴染みの数々の地名は、古(いにしえ)にはどのような所だったのか、どうぞお楽しみください。

蓮如と大阪

 本願寺第8世の蓮如上人(1415~1499)は真宗中興の祖と呼ばれます。若い頃は不遇でしたが、宗学の研鑽を積み、近江や北陸で布教に努め、本願寺の教線は大きく進展することになります。その後、摂津・河内・和泉での布教に力を入れ、山科において本願寺の再興を果たした上人は、明応5年(1496)、大坂に石山御坊を建てました。これがやがて本願寺へと昇格すると、坊舎の周りに築かれた寺内町は、日本史上まれに見る宗教王国へと発展していきました。なにしろ当時の真宗門徒は大坂の本願寺へ行くことを「上洛」と呼んでいたそうですから、大坂本願寺こそが「心の都」であったことになります。
蓮如がやってきた当時、上町台地の北端の地は生玉荘と呼ばれていました。それがなぜ「石山」と呼ばれるようになったのでしょうか。蓮如の孫である顕誓の書いた史料によると、石山御坊創建当時、そのまま礎石に使える大きな石が土中に多数そろっていたので石山と呼ばれるようになったということです。そこは、かつて難波宮(7~8世紀)が在った場所に当たりますから、もし古代の王宮の一部に行き当ったのだとしたら、古代都市・難波京の眠りを覚まして新たな歴史を切りひらいたことになります。
この、難攻不落といわれた石山の本願寺に戦いを挑んだのが、天下統一の拠点として上町台地に着目した、織田信長でした。信長は十年余に及ぶ激しい闘いの後、天皇の詔勅をもって紀州に本願寺を退却させます。そして、いよいよ大坂に最終的な本拠を構えんとした矢先、明智光秀に討たれてしまったのでした。その後、織田信長の後継者となり天下を統一した豊臣秀吉が、本願寺の跡地に、東洋一の巨城を築いたのが、近世の大坂城の始まりとなります。


「おさか」舞台写真


関東からやってきた旅の者が大坂の町々を見物する。
「大坂」と言いつつも「坂」が見当たらないことに不満をもらす。
そこへ「大坂人」がやって来て<天王寺七坂>などを案内するが、大きな坂というほどでもないのではと、なおも不満を述べる。そこへ生國魂の神主が現れ、上町台地の周囲に海が迫っていた神代にさかのぼって、この地の由来を解き明かし、「おさか」が転じて「おおさか」という地名が誕生した経緯を物語る。

天王寺七坂

天王寺七坂

この事業はサテライト大阪環境整備協力費で実施しています


まんがで学ぶはじめてのお能

まんがで学ぶ ”はじめてのお能”

 能を見たことがない人も楽しめる"能楽入門編"!
紙芝居のような"まんがスライド"上映で、能の代表曲「羽衣(はごろも)」と太閤さん(豊臣秀吉)が愛好した曲「田村(たむら)」のストーリーが一目でわかります。音楽やナレーションもつき、より楽しく学んでいただけます。
"観て" "聴いて" "謡って" いっしょにお能を体感してみませんか? 


◆と き◆  2月27日(土)13:30~14:30(開場13:00)

◆ところ◆  相愛大学本町キャンパス1号館音楽大教室 (中央区本町4丁目1-23)

       ※相愛大学との連携で、BGMなどの制作・演奏は
音楽学部の学生によって行われました。

◆内 容◆  第1部 「田村」まんがスライド上映と能楽師による実演  

       第2部  お能体験コーナー(すり足・謡など)

第3部 「羽衣」まんがスライド上映と能楽師による実演

         講  師:梅若基徳(能楽師・観世流シテ方)

         総合司会:橘高邦子(元NHK報道リポーター)



当日の様子

 看板のタイトル文字は相愛大学脇川智帆さんが作成し、パンフレットにも使用させていただきました。第一部は「田村」のまんがスライドの上映と能楽師の梅若基徳氏による実演です。
 第二部は梅若氏による能の解説とお客さんにも参加していただく体験コーナーです。能面に子どもたちも興味津々の様子です。
 「すり足」の体験にはたくさんの子どもたちが参加してくれました。「謡(うたい)」の体験では子どもだけでなく大人の皆さんも歌詞カードを見ながら大きな声を出して挑戦してくださいました。
 そして第三部は「羽衣」のまんがスライド上映と実演です。実演では参加者の皆さんも先ほど練習した「謡」で演技に参加しました。実演の後、今回のまんがイラストを作画してくださった、渡辺睦子さんをお招きして質問コーナーを行いました。最後に今回の公演にご協力いただいた相愛大学の学生さんを舞台にお呼びして感想などをお聞きして公演は終了しました。

出演者紹介


講師:梅若基徳(うめわか もとのり)本名同じ

重要無形文化財総合指定保持者、公益社団法人 日本能楽会会員
公益社団法人 能楽協会会員、一般財団法人 日本伝統芸術文化財団代表理事
名誉きき酒師酒匠、自主演能会「能を観る」を主催。
演能グループ「能楽道本座」代表。

ホームページ  http://www.umewaka.info/

 中世より代々続く梅若家に生まれ、初舞台3歳より舞台活動を始める。関西を中心に東京、名古屋、福岡など日本各地で活躍。
また海外公演にも多数参加し、パリ公演。イタリア・ミラノ薪能。スイス公演。クロアチア・ヨーロッパ演劇祭参加。近年では2006年フランス・ストラスブール能楽公演。2008年源氏物語千年紀記念パリ公演。2010年オランダ・アムステルダム公演、ギリシャ・アクロポリス公演。2012年1月フランス公演、アルジェリア公演、9月ロサンゼルス公演。2013年8月スロバキア公演、2015年7月ギリシャ・エピダウロス遺跡公演などに参加。2014年ロサンゼルス公演にて、米国メイフラワー号の奇跡を題材にした新曲「五月花(メイフラワー)」を作成、上演し「ロサンゼルス名誉市民」に認定。
日本の伝統芸能としてだけでなく、他の古典邦楽や現代演劇、音楽などとのコラボレーションも積極的に模索し、世界に通じる演劇としての評価や可能性も高めていきたいと考える。

 文化庁委嘱伝統文化子ども教室、APAC Theatre Festibalや和文化教育における高校、大学、教職員研修、市民大学などの幅広い年齢層の特別講義やワークショップも多数つとめ、未来の担い手や日本の伝統芸能・能楽の普及・振興にも力を注ぐ。

【 著 書 】『能に観る日本人力』(BAB出版)


総合司会:橘高邦子(きったかくにこ)

元NHK報道リポーター
橘高邦子
 テレビ・ラジオなどのメディアで活躍してきた実績があり、大学で話し方や絵本朗読の講師を務めている。
親和女子大学(現・神戸親和女子大学)卒業後、NHK報道番組部にてリポーターを務める。その後フリーとなり、各局にてパーソナリティーとして活躍。現在、ノートルダム女子大非常勤講師。NHK文化センター(西宮、梅田、京都)で、絵本読み聞かせ講座講師も務める。
全国各地で、各ジャンルの事業の司会においても、的確なMCで観客をひきつけ、事業をより充実させる実績を持ち、好評を博している。


作画家:渡辺睦子(わたなべ むつこ)

1961年、神戸市生まれ。武庫川女子大学薬学部卒業。在学中に能楽部に入部し、観世流に親しむ。
薬剤師として勤務する傍ら、現在も能楽の稽古に励み、次の出版を企画展開中。

"なんとなく"薬学部に入学するも、大学生活に"ハリ"を求めて、能楽部に入部! 
お能は謡いによって舞台が展開していきます。実際に謡い、舞ってみようとすると、その曲の内容を理解しないとどうも上手くできません。曲趣を調べる中、誰よりも私自身が能曲の物語を楽しく捉えたいという思いで漫画で描いてみたところ、"なんとなく"というゆるい性格の私は、五感を研ぎ澄ませて舞うお能の張り詰めた魅力に、どんどんはまっていき、なんと"本出版"となりました!

【 著 書 】『まんが能百番』(2009・平凡社)
『もっと知りたい続まんが能百番』(2011・平凡社)

◆渡辺睦子さんよりメッセージ◆
「お能の流儀には、観世・宝生・金春・金剛・喜多の五流があります。流儀によって存在する曲が違い、同じ曲であっても、演目名や登場人物、筋の運びが違うことがあります。著書二冊は、観世流を基本としています。多くの方々に本書をご覧い松羽目ただき、能楽に少しでも興味・関心を持って、実際にお能を鑑賞していただきたいと思います。お能の見方は自由です。本書を参考にしていただいて、"あなた流"にお能を楽しんでいただければ、とても嬉しいです。
さあ、ごいっしょに、お能の世界へLet's go!」


曲目解説
(参照:能楽ハンドブック・三省堂、能百番・平凡社ほか)
羽衣 <あらすじ>
とある春の朝、駿河国三保(するがのくにみほ)の松原の浜辺に、この浦に住む漁師の白龍(はくりゅう)が釣りから帰ってきます。白龍は、どこからともなく聞こえてくる音楽と、よい匂いに気づきます。
見まわすと、一本の松の枝に美しい衣が掛かっているのを見つけました。白龍は、「家の宝にしよう!」と思い衣を持って帰ろうとします。すると、一人の女が現れ、衣は自分のものなので返してほしいと頼みます。
聞けば女は天人で、衣は天の羽衣だと言います。白龍は「そんな珍しいものだったら」と、ますます返そうとしません。天女は「それがないと、天に帰れない」と悲しみます。天女がかわいそうになった白龍は、衣を返す代わりに舞を見せてほしいといいます。
天女は喜び、返してもらった羽衣を着て月の世界の様子を話し、地上の三保の松原の景色を讃えて、舞を舞います。
やがて、天女は三保の松原から彼方の愛鷹山(あしたかやま)、富士山の上へと舞い上がり、大空の霞にまぎれて、天へと帰っていきました。
<みどころ>
「風土記」逸文をはじめ、日本各地にある羽衣伝説をもとにした能です。昔話では、天女(天人)は羽衣を隠されてしまって泣く泣く人間の妻になるのですが、能では、やさしい漁師・白龍は、天女に衣をすぐに返します。
衣を返したら、きっと約束の舞を舞わずに帰ってしまうだろうと思っていた白龍に、天女は「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と返答します。正直者の白龍は、天人のことばに感動して衣を返します。
穏やかな春の海、駿河の三保の白砂青松、美しい天女の舞、そして遠く望む富士山。能「羽衣」から想像する景色は、みなさまを幸せな気持ちにさせてくれることでしょう。
田村 <あらすじ>
東の国のお坊さんたちが都(現在の京都)を見物しに旅に出て、桜満開の清水寺にやってきます。桜に見とれていると、寺の境内で、桜の木の下を掃き清めている少年に出会います。お坊さんが清水寺の事やこのあたりの名所のことを尋ねると、少年は、「清水寺は大同二年坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)の御願により創立されたもの」といって、「南に見える塔は清閑寺(せいがんじ)、その向こうは今熊野(いまぐまの)、北に入相(いりあい)の鐘が聞こえるのは霊山寺(りょうせんじ)だよ」と、あたりの名所を教えてくれます。
そのうちに、音羽山の上に月が出てきました。お坊さんと少年は、桜満開の美しい夕暮れの景色を眺めて楽しみます。「花の美しい香、月の清い光、春の一刻は千金に値する」と絶景に酔ったお坊さんは、ふと少年の事を不思議に思って名前を尋ねます。少年は「気になるなら、私の帰るところを見て」と言って、田村堂へ入っていきました。
お坊さんたちは、近所の人に田村堂に祀られている坂上田村麿の事を教えてもらいます。そして、お坊さんたちは一晩中、田村麿のために、桜の散る木陰に座り月の光に心を澄まして法華経を唱えました。
 すると、武将姿の田村麿の霊が現れて「私は、帝の命令によって伊勢路・安濃の松原あたりで、たくさんの敵と戦うことになった。私は清水寺に来て、千手観世音(せんじゅかんぜおん)様に一生懸命にお祈りすると、千手観世音様が現れて、千の手の一つ一つに弓矢を持って、敵に向かってその矢が飛ばされた。そのおかげで、敵はみな倒された。これは、まさに観世音様のお力である」といって、田村麿の霊は消えていきました。
<みどころ>
「箙(えびら)」「八島(屋島とも書く)」とともに、勝修羅三番(かちしゅらさんばん)のひとつです。勝修羅とは、勝ち戦の武将を主人公とする修羅能のこと。この曲の主人公は、征夷大将軍・坂上田村麿で、悲壮感はなく、雄々しい姿が描かれ、祝言の色彩も帯びています。前半では、田村麿の化身である少年を主人公に、清水寺の花景色、とりわけ桜の陰に月明かりが洩れる春の宵が美しく描写され、優美さ、華やかさが際立ちます。後半は一転して、武者姿の田村麿が登場し、一代の戦記を語り、敵をなぎ倒した往時の勢いを現します。今回は、後半の力強い田村麿の舞をごらんいただきます。

この事業はサテライト大阪環境整備協力費で実施しています

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